古代エジプト最後の女王、クレオパトラ7世の家系図は、しばしば「スパゲッティのよう」と形容されます。それは単に血縁関係が複雑に入り組んでいるだけでなく、そこには権力維持のための近親婚、王位をめぐる暗殺、そしてローマとの同盟という300年の壮絶な叙事詩が刻まれているからです。この記事では、クレオパトラ女王の家系図を解き明かし、彼女がいかにしてその複雑な遺産を受け継ぎ、歴史の舞台で輝いたのかを探ります。
Part1.クレオパトラ7世の親と兄弟
クレオパトラ7世に焦点を当て、彼女自身の複雑な家族構成を解き明かすことは、彼女の野心的な行動や巧みな政治戦略を理解する上で重要な鍵となります。彼女は、プトレマイオス朝の血塗られた遺産を色濃く受け継いでいました。
両親
クレオパトラ7世の父親はプトレマイオス12世アウレテスです。母親については記録が断片的ですが、彼の姉妹であり妻でもあったクレオパトラ5世トリュファイナである可能性が最も高いとされています。(プトレマイオス朝ではクレオパトラ、プトレマイオス、ベレニケといった名が繰り返し使われたため、歴史家は5世や7世といった番号で区別します)。もしそうであれば、クレオパトラは純粋なプトレマイオス朝の血筋を引いており、近親婚の伝統から生まれたサラブレッドであったと言えます。
兄弟姉妹
クレオパトラにとって、兄弟姉妹は家族であると同時に、王座を脅かす最も身近な敵でした。プトレマイオス朝の伝統に従い、彼女はこの血縁という名の戦場を勝ち抜くしかなかったのです。
- ベレニケ4世: 姉。父プトレマイオス12世が追放されている間に王位を奪いましたが、父の復権時に処刑されました。
- アルシノエ4世: 妹。クレオパトラと敵対し、ローマでの凱旋式で晒し者にされた後、クレオパトラの要請によりマルクス・アントニウスに殺害されました。
- プトレマイオス13世: 弟であり、最初の夫。慣習に従いクレオパトラと結婚し共同統治者となりましたが、彼女を追放して権力を掌握しようとしました。しかし、ユリウス・カエサルとの内戦に敗れ、ナイル川で溺死しました。
- プトレマイオス14世: 弟であり、二番目の夫。プトレマイオス13世の死後、クレオパトラの共同統治者となりましたが、後に謎の死を遂げました。クレオパトラによる毒殺説が有力です。
家族内の熾烈な権力闘争を勝ち抜いたクレオパトラは、エジプト国内の支配を固めると、その目を国外、特に地中海世界で圧倒的な力を誇るローマへと向けました。
Part2.ローマとの同盟
クレオパトラの運命は、ローマの政治と深く結びついていました。二人のローマの英雄との関係は、単なる恋愛物語ではなく、衰退しつつあったプトレマイオス朝の存続を賭けた、壮大な政治的同盟だったのです。

ユリウス・カエサルとの関係
弟プトレマイオス13世によってエジプトを追われたクレオパトラは、当時アレクサンドリアに滞在していたローマの最高実力者ユリウス・カエサルに接近します。彼女は大胆な方法で彼との同盟を確保し、その軍事力を後ろ盾に内戦に勝利、エジプトの王位を確固たるものにしました。この関係から息子カエサリオン(プトレマイオス15世)が誕生します。カエサルの唯一の生物学的な息子とされる彼の存在は、ローマとエジプトを結びつける強力な象徴となるはずでした。
マルクス・アントニウスとの関係
カエサルの暗殺後、クレオパトラは東方を支配下に置いた有力者マルクス・アントニウスと新たな同盟を結びました。二人の関係は公私にわたって深く、単なる政治的パートナーシップを超えていました。彼らの間には3人の子供が生まれました。
- アレクサンドロス・ヘリオス
- クレオパトラ・セレネ2世
- プトレマイオス・フィラデルフォス
しかし、この夢の実現に向けた彼らの行動、特に「アレクサンドリアの寄進」と呼ばれる公の儀式は、破滅的な結果を招きます。この儀式でアントニウスは、クレオパトラの子供たちにローマの広大な東方属州を分配することを宣言しました。これは単なる野心的な計画の発表ではなく、ローマの権威と法に対する公然たる挑戦でした。この行為は、ローマの新たな支配者オクタウィアヌスに、アントニウスというローマの同胞ではなく、クレオパトラという「外国の女王」に対して戦争を宣言する絶好の口実を与え、物語は避けられない最終局面へと向かっていきます。
Part3.子供たち
紀元前31年、アクティウムの海戦におけるクレオパトラとアントニウス連合軍の敗北は、プトレマイオス朝の運命を決定づけました。二人の死後、彼らが築こうとした帝国の夢は潰え、残された子供たちはローマの勝者の手に委ねられることになります。
ここに300年近く続いたプトレマイオス朝は終焉を迎え、エジプトはローマの属州として併合されました。
クレオパトラが残した4人の子供たちは、それぞれ対照的な運命を辿りました。
- カエサリオン (プトレマイオス15世): クレオパトラの長男であり、ユリウス・カエサルの子。エジプトから逃亡を図るも捕らえられました。オクタウィアヌスにとって、カエサルの後継者を名乗る者が二人いることは許されず、「二人のカエサルは多すぎる」という冷徹な判断の下、処刑されました。
- アントニウスの子供たち (3人): アレクサンドロス・ヘリオス、クレオパトラ・セレネ2世、プトレマイオス・フィラデルフォスの3人は、捕虜としてローマへ連行されました。彼らは、アントニウスのローマ人の妻であったオクタウィア(オクタウィアヌスの姉)によって引き取られ、育てられました。
- クレオパトラ・セレネ2世のその後: 息子たち(アレクサンドロスとプトレマイオス)は若くして歴史の記録から姿を消します。その正確な運命は、病死か処刑か、今となっては知る由もなく、妹が辿った明確な記録とは対照的です。娘のクレオパトラ・セレネ2世だけは生き延び、北アフリカのマウレタニア王ユバ2世と結婚してその地の女王となりました。彼女は息子プトレマイオスをもうけ、プトレマイオス朝の血筋は、エジプトの外でさらに一世代だけ受け継がれたのです。
クレオパトラ・セレネ2世の物語は、プトレマイオス朝の血脈がエジプト滅亡後も、ローマの支配下でわずかながら生き続けたことを示す、歴史の興味深いエピローグと言えるでしょう。
Part4.クレオパトラの家系図を作成する方法
クレオパトラは親族間の結婚、ローマの有力者との関係などが複雑に絡み合っており、視覚的に整理するには家系図が最適です。EdrawMaxを使えば、こうした複雑な歴史的人物の系譜も、ドラッグ&ドロップだけでわかりやすく図解できます。
ステップ1:テンプレートを選ぶ

歴史人物の家系を描く場合は、「縦型ツリー」や「組織図スタイル」が見やすくおすすめです。
ステップ2:人物を配置する

ステップ3:関係線を引く

- 関係線(コネクタ)を自動調整できるため、線が交差しにくい
- 同一世代の整列は「スマート配置」でワンクリック整形
ステップ4:デザインと注釈の追加

- 図形や線の色を変更して、「エジプト王族」「ローマ関係者」など色分け可能
ステップ5:完成と共有

家系図が完成したら、次の手順で出力・共有できます。
[ファイル] → [エクスポート] → PDF / PNG / SVG / Word / PPT
クラウドに保存して、リンク共有も可能
歴史研究や授業資料、レポート発表で使う場合は、PDF形式にしておくと見栄えが良くなります。

