家系図

ツタンカーメンの家系図

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編集者: 成海

ツタンカーメンは、紀元前14世紀ごろの古代エジプト新王国時代、第18王朝の末期に在位した王です。8歳から9歳ほど即位し、在位期間はおよそ10年、没年齢は19歳前後と考えられています。近年はDNA鑑定やCTスキャンの研究が進み、家族関係や健康状態について新たな見方が示されてきました。

この記事では、ツタンカーメンの家系と家族の問題を整理して紹介します。

1.家系図から見るツタンカーメンの血縁

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1.1 ツタンカーメンの両親は誰か

ツタンカーメンの父母については、長く議論が続いてきました。2010年に発表されたDNA研究では、父は王家の谷のKV55墓から見つかったミイラで、一般にアクエンアテンである可能性が高いとされています。

母については、KV35墓で見つかった「若い女性」と呼ばれるミイラが実母とされました。この人物は、DNAの分析からアメンホテプ3世とティイの娘であり、父とされる人物の同母同父のきょうだいにあたる可能性が高いと報告されました。この結果が正しければ、ツタンカーメンは近親婚によって生まれたことになります。

ただし、この点は今も完全に決着したわけではありません。古代のDNAは損傷が大きく、解釈には慎重さが必要です。ネフェルティティが母だった可能性を残す研究者もおり、「若い女性」の身元自体についても別の説があります。そのため、現在もっとも有力なのは「父はアクエンアテン、母はその近親者である王族女性」という見方ですが、細部にはなお不確定な部分があります。

1.2 ツタンカーメンの健康状態と死因

近親婚の影響は、ツタンカーメンの健康状態にも関係していた可能性があります。CTスキャンなどの研究から、彼には左足の変形があり、歩行に支障があったと考えられています。墓から多数の杖が見つかっていることも、日常的に補助具を必要としていた可能性を示しています。

一方で、どの病気を抱えていたかについては研究者の見解が分かれる部分もあります。以前はさまざまな病気が挙げられましたが、すべてが確定しているわけではありません。少なくとも、体が丈夫ではなかった可能性は高いとみられています。

死因についても、かつて有名だった暗殺説は、現在では有力ではありません。後頭部の損傷は、ミイラ化の過程か、その後に生じたものと考えられています。現在は、脚の骨折のような重傷に加え、マラリア感染が重なったことが死につながったという説が有力です。ただし、これも最終的に断定できるわけではありません。

1.3 妻と子どもたち

ツタンカーメンの妻はアンケセナーメンです。彼女は異母姉妹、または近い血縁の王族女性だった可能性が高いとされています。

ツタンカーメンの墓からは、二体の胎児のミイラが見つかっています。いずれも娘と考えられており、早産または死産だったとみられています。生き残った子どもがいた証拠は、現在のところ確認されていません。

2.よくある質問

2.1 ツタンカーメンの母はネフェルティティですか

現在もっとも有力なのは、母がKV35墓の「若い女性」とされる説です。ネフェルティティ母説も残っていますが、現時点では定説とはいえません。

2.2 なぜ近親婚が行われたのですか

古代エジプト王家では、王族の血統を保つことが重視されていました。宗教的な考え方に加え、王位継承の正当性を保つという政治的な意味もあったと考えられています。

2.3 ツタンカーメンに生き残った子どもはいましたか

今のところ、生存した子どもがいたことを示す確実な証拠は見つかっていません。墓で見つかった二体の胎児は、いずれも成長前に亡くなったと考えられています。

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