家系図

朝鮮王朝歴代王の系図を読み解く

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編集者: 成海

韓国の歴史ドラマに触れると、必ずといっていいほど登場するのが、500年にわたって続いた朝鮮王朝の物語です。

本記事では、朝鮮王朝の成立から滅亡までの流れを整理し、歴代27人すべての王について、その人物像や治世の特徴、重要な出来事をわかりやすく解説します。あわせて、複雑な王位継承や王族同士の関係を理解する手助けとなる「朝鮮王朝歴代王の系図」も紹介します。

1.李氏朝鮮の建国

朝鮮王朝を開いたのは、初代国王・太祖こと李成桂(イ・ソンゲ)です。彼は高麗王朝末期に活躍した名将として知られています。

李成桂の家系である全州李氏は、もともと朝鮮半島南部の全州を本貫としていましたが、高祖父の代に東北面の宜州へ移り、元(モンゴル)に仕えた経緯を持ちます。その後、父・李子春の代に高麗へ帰順し、李成桂自身も高麗の武将として頭角を現しました。転機となったのが、1388年の「威化島回軍」です。明を討つよう命じられた李成桂は、鴨緑江の威化島で進軍を中止し、軍を引き返して首都・開城を制圧しました。

1392年、李成桂は新たに国号を「朝鮮」と定め、王朝を創設しました。こうして、約500年続く李氏朝鮮の歴史が幕を開けました。

2.朝鮮王朝歴代王系図から見る500年の歩み

朝鮮王朝歴代王系図は、1392年の建国から1910年の滅亡まで、約500年にわたって続いた王統の流れを一望できる図です。太祖・李成桂を起点に、世宗の治世における政治・文化の発展、中宗・宣祖期の制度改革や社会不安、英祖・正祖による王権強化と改革、そして高宗代における近代化と王朝終焉まで、王系図は朝鮮王朝の盛衰を端的に示しています。

なかでも、ハングル文字を作ったことで知られる第4代王・世宗、党争が激化した宣祖、改革君主として評価の高い英祖・正祖、そして大韓帝国成立を主導した高宗は、朝鮮王朝史を理解するうえで欠かせない重要人物です。

以下では、朝鮮王朝歴代王系図をもとに、第1代王から第27代王まで、それぞれの国王について在位期間、主な出来事、歴史的評価を整理しながら、朝鮮王朝の歴史を順に詳しく解説していきます。

①太祖― 李成桂(読み方:イ・ソンゲ 이성계

在位期間:1392年~1398年  

概要:高麗王朝末期に活躍した武将で、李氏朝鮮の創始者。威化島回軍によって実権を掌握し、高麗を滅ぼして新王朝を樹立しました。

主な出来事:

  1. 1392年、朝鮮王朝を建国
  2. 首都を漢陽(現在のソウル)へ遷都
  3. 高祖父から父まで、直系四代の祖先を王として追尊

②定宗― 李芳果(読み方:イ・バングァ  이방과)

在位期間:1398年~1400年

概要:太祖の次男。弟・李芳遠(後の太宗)が起こした第一次王子の乱の後に即位しましたが、実権は弟にあり、在位2年で譲位しました。

主な出来事:

  1. 第一次王子の乱の結果として即位
  2. 弟・太宗に王位を譲り、上王となる

③太宗― 李芳遠(読み方:イ・バンウォン  이방원)

在位期間:1400年~1418年

概要:太祖の五男で定宗の弟。二度の王子の乱を主導し、政敵や兄弟を排除して王位に就きました。強力な王権を確立し、王朝の基盤を固めた王です。

主な出来事:

  1. 功臣や外戚を粛清し、王権を強化
  2. 官僚制度を整備し、中央集権体制を確立

④世宗― 李祹(読み方:イ・ド  이도)

在位期間:1418年~1450年

概要:太宗の三男。朝鮮王朝史上最高の名君とされ、文化・科学・経済が大きく発展した黄金時代を築きました。

主な出来事:

  1. 朝鮮固有の文字「訓民正音(ハングル)」を創製
  2. 集賢殿を設置し、学問と人材育成を推進

⑤文宗― 李珦(読み方:イ・ヒャン  이향)

在位期間:1450年~1452年

概要:世宗の長男。世子時代から父を補佐しましたが、即位後は病弱で、在位2年で崩御しました。

⑥端宗― 李弘暐(読み方:イ・ホンウィ  이홍위)

在位期間:1452年~1455年

概要:文宗の子。12歳で即位しましたが、叔父・首陽大君(後の世祖)に王位を奪われ、悲劇的な最期を迎えました。

主な出来事:

  1. 癸酉靖難により首陽大君が実権を掌握
  2. 王位を譲り上王となるも、後に流刑・賜死

⑦世祖― 李瑈(読み方:イ・ユ  이유)

在位期間:1455年~1468年

概要:世宗の次男で端宗の叔父。クーデターによって王位を奪いましたが、強力な統治で王権を安定させました。

主な出来事:

  1. 端宗から王位を簒奪
  2. 『経国大典』編纂を継続し、法制度を整備

⑧睿宗― 李晄(読み方:イ・ファン  이황)

在位期間:1468年~1469年

概要:世祖の次男。在位は1年余りと短く、若くして崩御しました。

⑨成宗― 李娎(読み方:イ・ヒョル  이혈)

在位期間:1469年~1494年

概要:睿宗の甥。制度と文化を完成させた王として高く評価されています。

主な出来事:

  1. 『経国大典』を完成・公布
  2. 士林派を登用し政治改革を推進

⑩燕山君― 李㦕(読み方:イ・ユン  이융)

在位期間:1494年~1506年

概要:成宗の長男。暴君として知られ、大規模な粛清を行い、クーデターで廃位されました。

主な出来事:

  1. 二度の士禍を引き起こす
  2. 中宗により廃位

⑪中宗― 李懌(読み方:イ・ヨク  이역)

在位期間:1506年~1544年

概要:成宗の次男で、燕山君の異母弟。クーデター(中宗反正)によって擁立され即位しました。治世を通じて、功臣勢力と士林派の対立に翻弄され続けた王です。

主な出来事:

  1. 燕山君を追放し即位
  2. 趙光祖ら士林派を登用して改革を試みるが、己卯士禍によって失敗

⑫仁宗― 李峼(読み方:イ・チョ  이호)

在位期間:1544年~1545年

概要:中宗の長男。徳と孝心に優れた人物とされましたが、病弱のため即位から約9か月で崩御しました。朝鮮王朝で最も在位期間が短い王です。

主な出来事:

趙光祖の名誉回復を進める

即位直後に病に倒れ、若くして崩御

⑬明宗― 李峘(読み方:イ・ファン  이환)

在位期間:1545年~1567年

概要:中宗の次男で、仁宗の異母弟。幼少で即位したため、母・文定王后が垂簾聴政を行い、実権を握りました。

主な出来事:

  1. 文定王后と外戚・尹元衡らが権力を掌握
  2. 乙巳士禍により多くの士林派が粛清される

⑭宣祖― 李昖(読み方:イ・ヨン  이연)

在位期間:1567年~1608年

概要:明宗の甥(中宗の孫)。後継者のいない明宗の死により、傍系から初めて王位に就きました。治世は日本の侵攻という国難に直面します。

主な出来事:

  1. 士林派政権下で党派が東人・西人に分裂
  2. 壬辰倭乱(文禄の役)、丁酉倭乱(慶長の役)により国土が甚大な被害を受ける

⑮光海君― 李琿(読み方:イ・ホン  이혼)

在位期間:1608年~1623年

概要:宣祖の次男。戦後復興と現実的な外交政策を進めましたが、政敵の反発を招き、クーデターで廃位されました。廟号は持ちません。

主な出来事:

  1. 戦後復興事業を推進し、戸籍や城郭を整備
  2. 大同法を京畿道で施行
  3. 仁祖により廃位

⑯仁祖― 李倧(読み方:イ・ジョン  이종)

在位期間:1623年~1649年

概要:宣祖の孫で、光海君の甥。西人派主導のクーデターによって即位しました。親明反後金政策により、二度の侵攻を受けます。

主な出来事:

  1. 丁卯胡乱・丙子胡乱という二度の清の侵攻
  2. 丙子胡乱で降伏し、三田渡の屈辱を経験
  3. 長男・昭顕世子が帰国後まもなく急死(毒殺説あり)

⑰孝宗― 李淏(読み方:イ・ホ  이호)

在位期間:1649年~1659年

概要:仁祖の次男。兄・昭顕世子の死後に即位し、清への復讐を掲げる北伐政策を国是としました。

主な出来事:

  1. 北伐計画を推進するも実現せず
  2. 清の要請によりロシアと戦う清軍へ援軍を派遣(羅禅征伐)

⑱顕宗― 李棩(読み方:イ・ヨン  이연)

在位期間:1659年~1674年

概要:孝宗の子。父の服喪期間を巡る礼訟論争をきっかけに、党争が激化した時代を治めました。

主な出来事:

  1. 己亥礼訟・甲寅礼訟により党派対立が深刻化
  2. 飢饉や疫病が相次ぎ、民衆の生活が困窮

⑲粛宗― 李焞(読み方:イ・スン  이순)

在位期間:1674年~1720年

概要:顕宗の子。強い王権を背景に、党派対立を利用する「換局政治」を展開しました。

主な出来事:

  1. 西人派と南人派を入れ替える換局を頻発
  2. 張禧嬪と仁顕王后を巡る宮廷闘争
  3. 常平通宝を鋳造し、貨幣経済を促進

⑳景宗― 李昀(読み方:イ・ギュン  이윤)

在位期間:1720年~1724年

概要:粛宗と張禧嬪の子。病弱で、激しい党争の中、在位4年で崩御しました。

主な出来事:

  1. 老論派と少論派の対立が激化(辛壬士禍)
  2. 延礽君(後の英祖)を世弟に冊封

㉑英祖― 李昑(読み方:イ・クム  이금)

在位期間:1724年~1776年

概要:粛宗の子で、52年という最長在位を誇る王。蕩平策によって党争の緩和を図りましたが、晩年には大きな悲劇を生みました。

主な出来事:

  1. 蕩平策、均役法、『続大典』を実施
  2. 壬午禍変で実子・思悼世子を餓死させる

㉒正祖― 李祘(読み方:イ・サン  이산)

在位期間:1776年~1800年

概要:思悼世子の子で、改革君主として高く評価されています。文化と学術を振興し、朝鮮後期の最盛期を築きました。

主な出来事:

  1. 奎章閣を設置し人材を育成
  2. 水原華城を建設
  3. 改革推進の中で急死(毒殺説あり)

㉓ 純祖― 李玜(読み方:イ・ゴン  이공)

在位期間:1800年~1834年

概要:正祖の次男。幼少即位のため、外戚が実権を握り、勢道政治が始まりました。

主な出来事:

  1. 安東金氏による勢道政治が本格化
  2. 洪景来の乱が発生

㉔憲宗― 李烉(読み方:イ・ファン  이환)

在位期間:1834年~1849年

概要:純祖の孫。幼くして即位し、勢道政治下で政局は混乱しました。

主な出来事:

  1. 安東金氏と豊壌趙氏の権力争い
  2. 後継者を残さず崩御

㉕哲宗― 李昪(読み方:イ・ビョン  이변)

在位期間:1849年~1863年

概要:傍系から擁立された王で、即位前は江華島で農業に従事していました。勢道政治が最盛期を迎えます。

主な出来事:

  1. 安東金氏による権力独占
  2. 壬戌民乱など農民反乱が頻発

㉖高宗― 李㷩(読み方:イ・ヒ  이형)

在位期間:1863年~1907年

概要:興宣大院君の次男。鎖国から開国へと転じる激動の時代を生き、1897年に大韓帝国を樹立しました。

主な出来事:

  1. 日朝修好条規により開国
  2. 乙未事変で明成皇后が暗殺
  3. 大韓帝国を宣布し皇帝に即位
  4. ハーグ密使事件後、強制退位

㉗純宗― 李坧(読み方:イ・チョク  이척)

在位期間:1907年~1910年

概要:高宗の次男で、朝鮮王朝および大韓帝国最後の君主。実権を持たないまま、王朝は終焉を迎えました。

主な出来事:

  1. 大韓帝国第2代皇帝として即位
  2. 日韓併合条約により王朝が滅亡

3.数字で見る朝鮮王族

27人の王の治世を数字で眺めると、朝鮮王朝の多様な姿が見えてきます。

最も在位が長かった王:第21代・英祖(ヨンジョ、在位52年)

最も在位が短かった王:第12代・仁宗(インジョン、約9か月)

最高齢で即位した王:初代・太祖(58歳)

最年少で即位した王:第24代・憲宗(8歳)

また、韓国では歴代王の廟号を覚えるための語呂合わせもよく知られています。

「太定太世文端世、睿成燕中仁明宣、光仁孝顕粛景英、正純憲哲高純」

(ハングル:태정태세문단세、예성연중인명선、광인효현숙경영、정순헌철고순)

4.歴史が見えてくる王家の系図の描き方

王位継承を理解するうえで、人物関係を視覚的に整理できる「系図」は非常に有効です。

  1. 先代の王を上部に配置
  2. 王位が継承された流れを矢印などで示す
  3. 次の世代へと線を伸ばす

このように整理するだけでも、王権の流れが明確になります。

さらに、廃位された王や粛清された人物に色分けや記号を加えることで、政変の多い時代の特徴も視覚的に捉えやすくなります。自分なりの系図を作ることで、歴史への理解はより深まるでしょう。

朝鮮王朝歴代王の系図 書き方

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